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世界でノマド生活 from ハワイ

自己紹介

自己紹介

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▼自由な時間とお金を作るお手伝い▼

初めまして。Megumiと申します。

なんか良いニックネームがあったら良いのだけどと思いつつ、何も浮かばなかったので普通に名前にしました。

プロフィールを途中まで書いたものの、自分の過去が黒歴史すぎて痛すぎて書き続ける事が出来ずに1度消しました。なのでこのプロフィールを書くのは2回目ですw そんな痛い自己紹介ですが幼少期から紹介したいと思います。(写真が全て実家にあるので昔の写真は追い追い追加していきます。)

幼少期

幼少期からお腹が弱く、頻繁に食後にお腹が痛いと泣いたり吐いたりしていたのを覚えています。家がピアノ教室だった事もありピアノを習ったり、鶏やモルモットを飼ったりと平和な幼少期を過ごしました。

学生時代

小学校時代はとても活発で文武両道な子でした。が、中学校時代で変化が出てきます。

自分は生徒会役員をしたり学級員などをしながらも学校に登校しないいわゆるヤンキーの人達と遊び始めました。

先生に呼び出され「ああいう人達とは付き合うな」と言われ大人不信に。何も悪い事をしてないのに何でそんな事を言われなければいけないの?先生は学業でしか人を判断しないのか?とただただ不思議でした。

夜遊びを覚え、全く勉強はしてなかったものの、授業は聞いていたからか何故か成績はそこそこ良かったので偏差値63のそこそこの進学校へ進みました。

                 

▼スポンサーのライントニングいがらし▼

 

           

▼スポンサーのきたしょー!!▼  

高校時代

女子校に進学。片道1時間かけて電車通学してました。女子校と言えばいじめがありそうですが、すごく皆仲良くて最高に楽しかったです。今でも皆でよく集まってます♪

高校から更に勉強しなくなりました。授業もまともに聞いた事ないです。毎回テストは赤点で、出席日数も卒業ギリギリ出来るように計算しながら出席してました。

高校からヒップホップダンスを始めました。ストリートで練習してる先輩達に教わりましたが

センスが無さすぎて、基礎だけで半年かかった気がします。涙

その頃クラブで歌を歌わせてもらうことに。ダンスと歌が好きで女友達とグループを組んでクラブでパフォーマンスさせてもらったりしました。

急展開。高校3年生の夏に妊娠発覚。

周りに反対されながらも産む事を決意。お腹を隠しながら学校に通っていましたが卒業の直前で先生達にバレてしまう。当時の担任の先生が他の先生に土下座をしてくださって何とか卒業だけはさせてもらえました。

シングルマザー時代

子供の父親とは出産してすぐに離婚。相手も10代だったのでとにかくお互い未熟でした。慰謝料も養育費も一切もらわずにシングルマザーに。

数ヶ月は実家で暮らしていましたがすぐに友達とルームシェアをし始めました。

どうやってお金を稼いで良いのかわからなかったのでとりあえず夜の世界へ。そこのキャバクラは地域ではとても大箱で大好きなダンスと歌を生かして1日数回のショータイムを毎日させてもらってました。

1人で仕事、家事、子育ては心身ともに本当に大変でした!

18歳という若さだったから体力的に何とかなってた気がしますが、精神的には幼かったしキツかったです。

周りに子育て経験のある友達がいなかったので、誰にも苦労を共感してもらえなかったのはとても苦しかったです。

子供を追いかけてじっと座ってられないのを見た友達が「子供って大変だねー。私は当分は要らないわ。」って言ってた時なんかもグサっときたのを覚えています。今ではその友達も素敵なお母さんになってます♪

あとは子供が小さいのに仕事に行って可愛そう。と周りの大人から言われ続け(今でも親には言われる)罪悪感にも長年さいなまれました。

当時は自分なりに頑張っていたつもりですが、今考えれば30代になってから子供を産めば私の中身も成長して安定していてもっと幸せに育ててあげれたのに。という気持ちはあります。

息子がたまに「自分を責めてしまう。自分に自信が持てない。」という時があります。

そういう時は「こんなお母さんに育てられたからだ。ってお母さんを責めたらいいよ。事実だし、自分を責める必要は一切ないよ。」と言います。

シングルマザーで苦労している私を見ているからか、息子は「それは嫌だ。」と言ってくれる優しい子なのですが、こういう時にもっと私が息子といてあげられたら、普通の家庭だったら。。。と頭をよぎります。

独立してみる

何か手に職を付けたい。普通のお昼の仕事がしたい。と思いアートメイクの資格を取り小さな店舗を借りてアートメイクサロンを始める。

最初は全くお客さんが来ずでしたが少ししたらボチボチお客さんが来て今思えば順調だったなと思います。

その頃東京の学生起業家の会に頻繁に参加するように。大学生の社長達がいっぱい参加してました。私は大学生じゃなかったけどwあんな賢い人達を人生で見たことがなかったのですごく衝撃的だったし話を聞いていてすごく面白かったです。

その当時参加してた人やその周りを今もメディアで見かけます。有名な企業の役員になっていたり当時と変わらず会社を続けていたり、コメンテーターや作家になっていたり。

出来る人、賢い人って若い時から賢くて突き抜けてるんだなぁ。

そんな時にお客さんからアートメイクにクレームが入る。即時に対応し、事なきを得たのですがクレームと言うものに免疫が無かった私はそれをきっかけに施術が怖くなる。

サロンを畳むことにして東京へ。

自由が丘や六本木などでまたまた夜のお仕事に。地元の田舎のお店と六本木のクラブの差に唖然。色々勉強になりました。

フィリピン セブ島時代

その後当時付き合っていた彼がフィリピンに住まない?と誘われセブ島に住むことに。結局彼は忙しくてほぼずっと日本にいて私と息子2人で暮らしてました。

当時のフィリピン(10数年前)はインターネットもままならず日本人留学生もほとんどいなかったです。ローカルのフィリピン人に色々連れ回してもらってフィリピンを知っていきました。このお友達には本当に感謝しています。もちろん今でも仲良しです。

日本の常識は一切通じず、英語もほとんど話せなかったのですごく苦労しました。特に時間にルーズなことや日本人をお金だと思って寄ってくる人達に慣れるのはなかなか時間がかかり、当時はいちいち怒ったり傷ついたりしてたな。

時間のルーズさは30分とか1時間だけ遅れる人もいましたが、業者さんとかは16時に来るって言ったのない来ない。電話すると「明日の16時に行く」と言われ次の日待っててもまた来ない。で、やっと3日目に数時間遅れて来る。とかもありました 笑

当時住み込みで働いてもらってたお手伝いさんのお家に遊びに行ったら、トイレがなくてバケツで用を足したり、シャワーが無いので外で服の上からバケツで水をかけて体を洗ってるのを見たり、電気がないのでロウソクを電気代わりにしたり。色々衝撃でした。

このお手伝いさん、養豚をしたいと言うので一緒にすごいへき地へ豚を買いに行き、育てて豚を売ったりもしたな。豚ってすごく懐いてくれて可愛かったです。お肉にするのは心苦しくなり、見にいくのをやめました。収益の方は、病気で豚が死んだり、餌代が高すぎてプラスマイナスゼロかちょっと赤字くらいでした。

今でもそのお手伝いさんと、その家族とは仲良くしていて、フィリピンに行ったら毎回彼女の所に遊びに行きます。

(2017年に遊びに行った時)

前はフィリピン人に日本人=お金って思われていて、お金目的で寄って来る人の多さにウンザリしていたのと、防衛本能がすごく強くなっていたので、お手伝いさんに給料以外一切お金を渡さなかったた私でしたが、今は会う度に少しだけお金を渡しています。このアロハ精神はハワイに来てから学びましたね。

道でBBQを売って、親のいない子供やお金がない家の子供の教育費を払ってあげているとっても優しい人彼女、少しながら応援しています。

あ、フィリピンではギャンブル詐欺みたいなのに引っかかりそうになった事もあります。家にご飯に招かれて、ご飯を食べ終わると「カードゲームしよう。もうすぐすごいお金持ちが来るから一緒に騙して儲けよう。」って言われました。

これ実は逆に身ぐるみ剥がされるらしいです。聞いたことがあったので「やりたくない。」と言ってご飯だけ食べて帰りました。危ない危ない。まぁあまり知らない人だったので、一応警戒して携帯もパスポートも持たずに、金を数百円のみ持って行ったので剥がされるものも無かったのですが、何も取られずで何よりでした。

逆にお金が無くても一生懸命私をもてなしてくれる人達もいたし、お金が無くてもすっごい楽しそうに暮してる人もいっぱいいたし、フィリピンに住んだことで人生の価値観が大きく変わりました。

もう横でいきなり生きてる鶏をさばき出しても驚きませんよ!(嘘。怖い。ぶるぶる)

日本に帰国

一時帰国の時にたまたま行った産婦人科でガンの検査をするかと聞かれ、いつもは断っていたのですが、何故かその時はたまたま検査を受け、子宮頸がんを患っていることが発覚。

1ヶ月半後程に手術をすることに決めそのまま日本に本帰国することに。ありがたいことに初期の初期だったので術後今まで再発していません。

ガンは寛解しましたが、手術後からリンパの流れが悪くなったのか、月経中はお腹と共に足が痛くなるようになり、今でも寝たり椅子に座ったりすると足が痛くなることが多々あります。

でもこのガン以来、人はいつ死ぬかわからない。
いつ死んでも良いように生きなきゃ!と生き方を変えました。

その後彼氏と再婚。彼が住んでいた関西に引っ越すことに。

びっくりドンキーでバイトしたり、社長も役員も全員20代のベンチャー企業で働いたり、美容学校に通って美容師免許やネイルの資格、着物の着付けの資格を取ったりしました。

その後結婚式場でヘアメイクをしたり美容室で働いたり、キャバクラのヘアセットをしたりしました。

中国人との出会い

ヘアメイクのバイトをし始めた当時、美容関係の仕事をしてる人しか入れない美容用具の卸店に行った時に、ピンの種類がよくわからずに近くにいた人に聞いてみたら、何故かその人にヘアメイクの仕事を誘われる。

その人は中国人で、大阪のミナミでヘアサロンを営んでいました。「イチド ミニ オイデ」と言われ面白そうなのですぐに見にいくことに。お客さんも働いてる人も全員中国人の異空間にびっくり。

お客さんいるのにご飯食べてるし、椅子に座って雑談してるし日本のサロンとの違いに、日本にいながらカルチャーショック!なんかそのゆるい感じがとってもしっくり来たのでそのサロンでアルバイトをすることに。

そこのサロンは昼間は美容室で夕方から夜のお仕事に行くお姉さん達がヘアセットにくるセットサロンでした。ヘアセットがまだまだ下手くそだった私は夕方からアシスタントとしてヘアカーラーを巻く毎日。

基本皆何言ってるか全然わからなかったけどお客さんもスタッフの人も日本語話せる人は日本語で話しかけてくれて、皆すごく優しくて明るくて楽しかったです。

ここのオーナー夫婦やスタッフにはよくご飯にも連れて行ってもらって、大阪にこんなに本場の中華料理店があって中国人コミュニティがある事を知りました。

そう言えば、私の美容室の人達は皆びっくりするほど美形でした。中国映画に出てくる俳優、女優さんみたいでしたよ。中国の北の方の人達ははっきりした整った顔の人が多いみたいです。

あまり日本語が話せないのに中国人コミュニティだけでビジネスが成り立ってるのを見るのも斬新でした。

中国の人達からは思いついたらすぐに行動に起こすフットワークの軽さと速さ、すぐに方向転換する柔軟さを学びました。世界中で華僑がビジネス成功しているのはこういう理由なのか!と思いました。

このオーナー夫婦には中国全土から人が集まるヘアショーにヘアメイクとして香港にも連れて行ってもらいました。すごい人がすごい熱気で押しかけてきて中国がすごい勢いで発展しているというのを肌で感じました。

今はオーナー夫婦は東京でヘアサロンをされているので、東京に行く度に今でも会っています。この中国人サロンで働いた事も私の人生の価値観を変えた1つですね。

バツ2時代

この辺で2度目の離婚。

きゃー。痛い!痛いよ私!

相手が突然自己破産したので一文無して3日後には家を出なければいけないと言われ本当に一文無しで家を出ました。(嘘。数千円はあったかも)

友達がシェアハウスを経営していて、たまたま空き部屋があったのでそこに住むことに。しかも家賃も月末までに払えば良いと言ってくれて何とか寝床を確保!ありがたやー

すごく古い一軒家でしたが庭もあったし面白い人達がいっぱい住んでいてゆるい感じで楽しかったな。

ここに住んでた人も月数万円あれば暮らせるって人達で、これも人生の価値観が変わったきっかけの1つだなぁ。

シェアハウスの皆でご飯を食べてる時。リビングに行くと大概誰かがこのコタツで寝てたな。

お金が無いのでまたまたすぐに日払いがもらえる夜の仕事へ。

北新地の老舗クラブに紹介で入りましたが、私の担当になったチーママがきつくてきつくてしごかれました。

メールのやり取りから電話のかけ方お箸の持ち方も学び直しなんかとにかく本当に色々学びました。お姉さん達も最初怖かったなー。途中から口調がキツイだけで実は優しいことに気づきましたが。

水商売については別で詳しく書いてます→リンクはこちら

シンガポール時代

少し生活が落ち着いてからインターネットでシンガポールでの求人を見つけて応募。

日本で面接をして頂き、受かったのでシンガポールで半年働く事に。働く前に2ヶ月英語の語学学校に行きました。

家も決めずとりあえずホステルのドミトリー(数人での共同の部屋)に1週間ほど滞在しながら部屋探し。

日本の友達がシンガポールの友達を紹介してくれたのでその子とその子の友達とご飯を食べに。その中の1人の子のご家族がホームステイする人を探してると言うのでそこに住む事に。

家賃が死ぬほど高いシンガポールで自分のプライベートの部屋があって450シンガポールドル (当時で3万弱) と言う格安な値段で部屋を見つけられました。

イスラム教ご家族の中で暮らす事になり色々新鮮でした。ここの家族も皆優しかったな。

2ヶ月後に労働ビザを出してもらい仕事が始まりました。

仕事は日本人の会員制のバーでのお仕事。日系のお店でしたがさすが海外。ゆるいゆるい!楽しく緩く働きながらもそこそこ良いお給料を頂いていたので結構お金が貯まりました。

ローカルの屋台めっちゃ美味しいし安いし、物欲も元々少ないし、バスや電車、タクシーも安いかったです。あと、中華系って皆そうなのか、シンガポールがすごくバブリーな時だったからか、男友達と遊ぶと男友達がいつもお金を払ってくれたのでお金を使うことがほとんどなかったです。

クラブ勤務の時も相当なお金持ちと出会いましたが、世界中のとんでもないお金持ちや、会った事もない仕事の人と知り合ってそれはそれは刺激的でした。

当時日本人女子はシンガポールでとても人気があって(今もそうかな?)クラブでは日本人女子がいると華があるからって、友達のツテもあって、いつも無料でVIPに入れてもらえてたし、お酒も無料で飲み放題でした。

シンガポールではすごく良い友達がいっぱい出来たな。

今は皆世界バラバラに散らばっちゃったけど、英語がネイティブじゃないってことで引け目を感じたことがないくらい皆とすっごく仲良くなれました。

シンガポールの人達はとっても優しいし、シンガポールに住んでいる外国人の人達もすごく優しかったし、周辺の国に格安ですぐに旅行に行ける環境も、所々にある緑や整備された作りがすごく好きでシンガポールにはもっと住みたかったです。

勤務先の会社が美容室を作ったのでそこで美容師として働く事を条件にビザを延長する手続きをしてもらいましたが、ビザの審査に落ち泣く泣く帰国することに。涙

シンガポールは学歴かお金がないと長期滞在できる労働ビザの申請が難しく、有名大学を卒業した日本人の同僚の子達は労働ビザをもらい就職してました。

その子達は全然英語が話せなかったので英語力は関係ないみたいです。

あ、でも高卒でも何故かビザの延長が出来た子も1人だけいたので、一概には学歴だけとは言えない様です。

シンガポールから日本に帰国

北新地からミナミのお店で働く事に。ミニクラブって言うのかな?システムはクラブと同じでしたが料金が少し安めのお店。その分お給料もガクンと下がりましたが

接客やノルマも北新地に比べたら緩いし、人も皆優しかったのでとても働きやすかったです。

だんだん体調を崩し始めます。元々すごく弱かったお腹が飲酒と同伴、アフターでの食事で限界を超え仕事を続けられない体調に。

夜の仕事は辞め、早朝のオフィスビルでのトイレ掃除と美容室でバイトを始めます。

トイレ掃除は一人で掃除して終わったら帰れるので気に入ってました。掃除中はブルートゥースのイヤフォンでポッドキャスト聴いたりYouTubeを聴いて英語の勉強をしてました。

トイレ掃除、1時間位で終わるのに2500円もらえたし勤務地が家から徒歩30秒くらいで近いし、出来ない日は前日の夜に掃除しても良いとか色々融通が利いたのでやり易かったです。

美容室の方は、たまたま私の友達と飲んでた美容室のオーナーにバーで出会い、無理矢理「雇ってくださいよー!」って雇ってもらいましたw

とってもゆるい美容室で、色々挑戦させてもらえたし楽しかったです。

(バイト先の美容室でオーナーと。ってオーナー年下でしたがねw)

結婚

3度目の結婚。

この3人目の夫が今の夫です。香港系のアメリカ人。生まれも育ちもニューヨークなので、広東語ほっとんど話せず香港要素はあまりないのですが身体の丈夫さを見てると中国のDNA強し!と思います。

ご両親も70超えているのに長時間フライトの後そのまま元気に遊びに行くし、ハワイの異常な夏の日差しの下歩きまくっても全然バテない強靭な身体の持ち主達。凄過ぎです。

ちなみにご両親は2人共聾者。なので手話で会話します。耳も聞こえず、英語の読み書きも出来ないのに2人でアメリカに移住し、仕事もし子育てもするスーパー移民です。大大大尊敬。すごく明るくて柔軟な考えのお二人でとっても楽しい2人です。

夫も含め、夫のご家族も皆息子をすごく可愛いがってくれています。

ハワイ移住

結婚後、最初は日本で暮らしていましたが、
「冬は寒すぎるし青空が少なくてしょんぼりしちゃう。どっか違う国に住もうよー。
という私の提案に「いいよ。どこにしようか?」って軽い夫の返事で決まった海外生活。

ビザがとりやすい、暖かい、アジア人差別が少ない、息子の英語教育の為に英語圏。などで消去法で夫決めたのがハワイ。

私はハワイに行ったこともなかったし興味も無かったのでちょっとがっかり。。。でも確かに夫アメリカ人だしビザとりやすくて暖かいよねー。って事でハワイに決定。

グリーンカードの申請を始めます。

弁護士を使うとべらぼうに高くなるので弁護士を使わずに自分たちで申請。それでも私の分と息子の分の二人分で合計60万円位かかったかな。1年半かかって無事グリーンカードを取得

家の物はほとんどメルカリやFacebookの売りますページで売り払い1人スーツケース2個のみという荷物でハワイへお引越し。

とりあえずAirbnbで1週間だけ宿をとりその間に家を探すお決まりのスタイル。1週間で奇跡的にすごく気に入る家を見つけ車も買い生活スタート♪

夫は元々アメリカ内ならどこでも使える資格を持っているので仕事探しには困らずスムーズにハワイ生活を始められました。

夫は去年あたりに不動産の資格もとり、私もコミュニティカレッジに通い出したりと新しい事にもチャレンジしています。息子の英語力はぐんぐん伸びています。親子で英語奮闘中です。

ワイ住むの嫌だなと思っていましたが、住んでみたら自然が美しいこと、気候が素晴らしいこと、人が優しいことなどでハワイが大好きになりました!

家賃と物価がべらぼうに高いのでそこは難点ですが…

物価などハワイに住んでみて思うことはこちら

これから

とにかく大大大好きなハワイ生活ですが、色んな国に住んだり旅行する事がずっと昔からの私の夢なのです。

色んな国に1年ごとに住んだとしても体力のある60歳前までに住める国数は20数ヶ国しか住めない。ってことにふと気付きました。

いつ病気になるかわからないし人はいつ死ぬかもわからない。周れるうちに周っとかないといつの間にか不可能になっちゃうかも!って事で、そんな生活が出来る保証もないのですがとりあえず2019年中にノマド生活を始めると決めてみました。

本当に世界周りながら収入をちゃんと得られるのかは謎ですが、とりあえず始めちゃえば何とかなるでしょ。っていう超甘い考えです。

この辺の謎の根拠なき自信は底辺生活で培った強さかもしれないですねw

今年18歳になる息子の母親とは思えない、35歳こえた大人とは思えない軽過ぎるノリなのですが、そうでもしないと一生始められないしね。本当にお金に困ったら、またアメリカのどこかに住んで働けはいいしね。

て事でデジタルノマドとして収入を得る第一歩にこのブログがなったら良いなーって期待もあり、色んな人との情報交換も出来たら良いなとブログ始めました。

あと、このブログが誰かの背中の後押しになったり最高に嬉しい!

ギリギリ高卒で結婚3回してる奴でも人生楽しく過ごして、40手前にしてお金も計画もちゃんとしてないのに世界いろんな所に旅するように暮らしちゃう奴がいるのか。って。

本当過去に黒歴史があり過ぎだし、痛い人生過ぎるのですが、こういうぶっ飛んだアホが好きな方は是非お付き合いよろしくお願いします(o´∀`o)ノ

感想、アドバイス、SNSでシェアなどお気軽にどうぞ♪♪

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